中国で伝統的に行われて来た3種の治療法
- 導引按蹻(どういんあんきょう)→気功・推拿→指圧
現在日本で広く行われている「健康維持のための太極拳」や体操の様に体を動かすことによって健康を維持する「導引」と、マッサージの様に手などで体を調整する「按蹻」が気功・推拿に分かれ、日本では推拿は「あん摩・マッサージ・指圧」に変化しました。その変化の中で、中医学的な理論と経絡や経穴(ツボ)へのアプローチの多くは失われ、似て非なるものへ変容しました。
*SHANTIでは、手技療法のルーツである「中国の推拿」と「日本のあん摩・マッサージ・指圧」の両方を学び、それらの長所を活かして施術に活用しています。
- 砭石(へんせき)→鍼 皮膚を焼く→灸
体の特定の部位を石などで刺激したり、皮膚を焼くことにより、治療効果があることが古代の中国で発見されました。その道具が現在の鍼、灸に発展し、「体の特定の部位」が現在の経穴(ツボ)です。その施術は現存する中国最古の医学書「黄帝内経(こうていだいけい)」に則って分析した上で、組み立てられます(弁証論治)。「黄帝内経」は『素問』:基礎理論と、『霊枢』(別名『鍼経』):実践的、技術的内容の二部に分かれます。黄帝が岐伯(きはく)を始め幾人かの学者に日常の疑問を問うたところから『素問』と呼ばれ、問答形式で記述されています。『素問』の内容は医学にかぎらず、易学、天候学、星座学、気学、薬学、運命学と広くさまざまな分野に及び、道教にとっても原典の一つとされています。
*SHANTIでは、刺激量を最小限に抑えるために刺さない鍼(鍉鍼・打鍼・古代鍼)や、鍼の代わりに指を使って行う指鍼(ししん/ゆびはり)を使うことがあります。
- 食養生、薬草→漢方薬(中薬)
中国最古の薬物学(本草学)書は「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」で、個々の生薬の薬効について述べています。神農は中国古代(4000~5000年前)の伝説の帝王(農耕・医薬・商業の神とも言われる)で、草木の薬効を調べるために自ら草根木皮を嘗め、何度も毒にあたっては薬草の力で甦ったといわれています。365種の薬物を上品(じょうほん、120種)、中品(ちゅうほん、120種)、下品(げほん、125種)と薬効別に分類しています(上薬、中薬、下薬ともいう)。上品は無毒で長期服用が可能なもので、身体を軽くし、元気を益し、不老長寿の作用があるとされます。中品は使い方次第では毒にもなるので注意が必要ですが、病気を予防し、虚弱な身体を強くするなど、上品と下品の中間の作用のものです。下品は毒性が強いものが多いので、長期にわたる服用は避けたほうがよいものですが、ある種の病気を治すために必要とされるものです。現在の日本では平成21年6月1日より施行された改正薬事法で、医薬品は副作用などによる健康被害の生じるリスクに応じて、第一類・第二類・第三類の3つに分けられ、最も注意が必要な第一類医薬品だけは薬剤師がいる店舗でしか購入できないという規則になりました。体へのリスクに応じて3種に分類している、という共通点が見られます。
*SHANTIでは、上品に分類される食材を中心に、その素材の薬膳効能により体を整えるための漢方茶をオリジナルでブレンドしています。
以上の3種が中国三大伝統療法と言われ、例えば「寒い地方では灸」など地域の特性により、それぞれ発展し、中医学となりました。
- 中医学略史:
紀元前2世紀ごろ 「黄帝内経」編纂
1〜2世紀ごろ 「神農本草経」成立 *諸説あり
1928〜1949年 国民党による伝統医学廃止運動
1956年〜 共産党が廃止運動に反発、伝統中医学を復興
*中国は中医学発祥の地ではありますが・・・途中断絶・消失した為、韓国や日本から逆輸入したり、古典(黄帝内経等)を活用したり、西洋医学も取り入れたりして、現代中医学を新たに創出しました。正確に表現すると、断絶前の古来の中国医学を「中国伝統医学/中国伝統療法」といい、復興後の現在の中国医学を「中医学」といいますが、多くの場合混在が見られます。中国伝統医学としての本当の奥義は、台湾や内モンゴルに流出したとの噂もあります。また現在の中国では一般的に西洋医学が好まれる傾向にあり、政府が現代中医学を外交に有効活用したいという思惑と必ずしも一致していないというのが実情の様です。
*SHANTIでは、これらの中国発祥・中国で発展してきたものを「中医学」、同じく中国発祥で日本に渡り日本古来の療法と混ざりながら独自の進化を遂げたものを「東洋医学」と表記しています。日本の医療の歴史において「東洋医学」は、当時の西洋医学「蘭学」と区別するため、「漢方」と呼ばれていた時期がありますが、このサイトでは混乱を避けるため全て「東洋医学」と表記します。